東京・日本橋に店を構える黒文字・楊枝専門店「さるや」は、当時江戸名物に数えられた「つま楊枝」の歴史を今日に伝える貴重な資料も残っています。

右の錦絵に描かれているのは当時の「さるや」の店先。お供を連れ、華やかな振りそでに着かざった武家の子女やあでやかな町場の女性たちが店先を賑わしています。
楊枝づくりは、クロモジの若木を手で2つに割り、4つに割り、さらに細かく割ったものを、今度は昔ながらの切出しで細く細く削っていきます。

江戸時代、主に京都の四条、大阪の道頓堀、東京の浅草などで楊枝の商いは行われていました。
明治時代になり海外からの文化により大量生産が可能な白樺の木やうつ木が作成されるようになり、黒文字楊枝を扱うお店が減少していきました。
「さるやの楊枝」は昔と変わらず、黒文字楊枝を現在も扱っております。



さるやの楊枝は「金千両」と墨痕(ぼっこん)鮮やかに記した贈答用の桐箱。
「正月早々、千両箱の到来とは縁起がいいねえ」と、江戸っ子らしい洒落を喜ぶお客様も多いらっしゃいます。
金千両は代々の当主が一年がかりで一つ一つ書き上げるのが 習わしです。
都々逸入りの辻占いを巻いた楊枝もあり、料亭や旅館、お茶屋さんなどで使われています。独特の日本情緒あふれる粋な小道具として好評です。
また、懐中にしのばせるにはピッタリの可愛いい携帯用ちりめん楊枝入れも扱っています。


「楊枝見世」と呼ばれた房楊枝ショップの中で、ひときわ評判の高かったのが、「さるや」。
その誕生は、赤穂浪人が吉良上野介の首をとって天下に名を挙げた、あの忠臣蔵事件の翌々年でした。

江戸時代、さるやは何軒もあり、楊枝見世の屋号は“さるや”が決まりのようになっていて、どこもみな猿を看板にしていました。



 

 


「さるや」の店名の由来は元禄時代の文献『人倫訓蒙図彙』に「猿は歯が白き故に楊枝の看板たり」という説と、柳亭種彦の『柳亭雑記』に大通で、小猿を背にして、楊枝をけずりながら売っていたという説とがあるとい うことです。

現在も、「さるや」のトレードマークは、縁起物の「括猿」が使われています。

現代でも職人の手により、1本1本手削りで楊枝を作っています、詳細はこちらから→上角楊枝ができるまで