ごあいさつ
さるやは、宝永元年(1704)照降町(中央区日本橋小網町)にて創業当主は、代々「さるや七郎兵衛」を名乗る主として歯ブラシとして使う総楊枝を商っておりました。
当時江戸時代においては、神社や寺の境内に楊枝見世が出されており文化年間(1820年代 3代目さるや七郎兵衛の頃)には、200件以上もあったと言われております。
さるやの名の由来は、「猿は歯白きが故に 楊枝の看板たり」との文言からきているとされております。
照降町さるやは、楊枝1本ではなく、その頃の商標によれば「御白粉 御元結 御楊枝処 さるや七郎兵衛」となっており、化粧品・小間物も取り扱っておりました。
江戸末期の浮世絵師 歌川国芳による江戸時代のさるやの浮世絵には、小間物屋としての様子も描かれている(4代目 さるや七郎兵衛の頃)明治以降総楊枝の需要が減り、黒文字が手削り楊枝の材料の主流となり、黒文字は清涼感のある香りと弾力性があることが特徴です。
千両箱は、明治に入ってから5代目さるや七郎兵衛が考案し、代々当主が「金千両」と手書きをする「桐箱入り黒文字」縁起ものとして配り物に重宝されております。
6代目 さるや七郎兵衛が大正に入ってから、辻占楊枝・名入れ楊枝を考案し現在に至っております。
お年賀や品のある販促品として、定年退職のお祝いや個人の方への贈り物として、お引き立て頂けます様、宜しくお願い申し上げます。